自分の成長に気づくとき
三連休、皆さんはいかがお過ごしでしたでしょうか。
私は長女が帰省し、一緒にお墓参りに行ったり、義母お手製の最高に美味しいおはぎ(春のお彼岸は本当は「ぼたもち」というのですね。ついおはぎと言ってしまいます。笑)をいただいたり、夜な夜な積もる話をしたりと、心がじんわり喜ぶ時間を過ごしました。
長女と次女が、ケラケラと笑いながら楽しそうに会話している姿を眺めていると、それだけで「幸せだなぁ」と心が満たされていきます。
誰に向けてというわけでもなく、「ありがとう」と呟きたくなるような、そんな穏やかなひとときでした。
成長は自分で感じるもの
今日は「自分の成長を感じるとき」について、お話したいと思います。
自分の成長というのは案外、自分では気づきにくいものですよね。
周りの方からの言葉で気づかせてもらうこともありますが、
やはり大切なのは自分自身が感じることではないかと思います。
憧れていた頃の自分
少し前のこと。
10年以上前から数年前にかけて様々な学びをさせていただいた方々のことを、ふと思い出しました。
当時の私は、
「素敵だな」
「そんなふうに話せるなんてすごい」
「こんな知識を持った人になりたい」
そう憧れていました。
気づいた変化
それから年月が経ち、
学びを深めたり新たな出会いがあったり、挑戦を重ねたりしながら40代だった私は、今や50代後半に。
当時の学びや教えていただいたことを振り返ると、それらが当たり前のように自分の中に根付いていることに気づきました。
そしてさらに、別の学びを重ねたことで視点が変わり、「あれ?」と感じる部分も出てきたりして。
もちろん、それは当時の学びやその方々が間違っていたということではなく、
自分の見え方が変わったということ。
憧れを超えたということ
あれほど輝いて見えていた存在が、いつの間にか「過去の思い出の一つ」になっている…
そのことに、驚きました。
そして気づいたのです。
自分の中の判断基準や価値基準が、
「憧れの誰か」ではなく、「自分自身」へと移っていたことに。
自分の中で、憧れを超えたのだなと。(あくまでも自分の内側での変化です)
人生の中で育まれたもの
この10数年は、私の人生の中でも非常に大きな変化のある時間でした。
良いことも、そうでないことも、まるで波のように寄せては引いていく日々。
その中でいくつもの岐路があり、それに気づかせてもらい大きなチカラと勇気をもらえた出会いもありました。
泣いたり、笑ったり、怒ったり、喜んだり。
今思えば、感情の揺れ幅もなかなかでした。笑
そして同時に、
「若かったんだなぁ」とも感じます。
学びは、使ってこそ身につく
その中で強く感じたことがあります。
それは、
学びはインプットだけでなくアウトプットしてこそ身につくということ。
(アウトプットの量はインプットの何倍も必要、と聞いたときかなり驚きました)
インプットし、アウトプットする。
そのプロセスを真剣に繰り返すことで、自分の考え方や視点が育まれ、
やがて
自分の軸が立ち上がっていくのですね。
積み重ねてきたもの
振り返ってみると、あの頃に比べて「できること」が格段に増えました。
それは、学んで終わりにせず、どんなカタチであれ自分の外側へと表現してきたから、なんだと思います。
当時はそれを「アウトプット」と意識していたわけではありませんでしたが、
ただ純粋に
「やってみたい」
「楽しい」
そんな気持ちのままに動いてきました。
その一つひとつの積み重ねが、今の自分へとつながっているのだと思います。
振り返ることで見えるもの
自分の成長というのは、前ばかりを見ていては気づけないものなのかもしれません。
だからこそ、時には立ち止まり、自分が歩んできた道を振り返ってみること。
そうすることで、自分に大きな花まるをあげたいと思う気持ちや、出会い関わってくれた方々への感謝が心から湧き上がる。
そしてまた前を向いて歩いていこう!と思える。
さいごに・・
憧れていた存在がそうではなくなったと感じるとき、そこには少しの寂しさがありますが、
でもそれ以上の喜びがある。
それはきっと「自分自身を生き始めた」というサイン。
憧れを憧れのままにして生きていたら… それは多分「面白くない」。
憧れを超えたと感じたとき… 必ず自分の世界には大きな変化が起こっているし、自分自身への感動に気づくはず。
これまでのすべての経験が、今の自分をつくってくれたことに感謝しながら、これからもまた自分らしい歩みを重ねていきたいですね。
〜人は、憧れを追いかける中で成長し、
やがては自分自身がその光を放つ存在になっていくものなのかもしれません〜
本日も最後までご覧くださってありがとうございました。
今週は過去の自分を振り返り、成長を感じてみるのもいいかもしれませんね。
エセンティア 設楽明子