おはようございます。
今年に入って、只今人生2度めの五十肩に悩まされています…泣
だいぶ頑張って我慢していましたが(謎の頑張り。笑)いよいよ我慢できなくなり、9月から整形外科に通っています。
とにかく痛いんです。
夜中に何度も痛みで目が覚めてしまうほど。
何回か、炎症止めと痛み止めの注射をしたことで若干楽になりましたが、まだまだ地道なリハビリの日々です。
着替えなどや普段の生活に支障がない、快適な毎日が恋しい今日このごろです…
ある気づきが訪れた日
先日、大切な友人が講話をする会があり、「絶対に行こう!」と決めていました。
でも、数日前から体調がすぐれない。
迷いに迷った末、今回は行かないことにしたんですね。
その後、心にモヤモヤが広がりました。
「なんでこんなに気になるんだろう?」と思い、自分の気持ちを書き出してみたら…出てきました、いろいろ。笑
・決めたことができないのはいけないこと
・意志が弱い
・いい加減と思われる(既に行くことを周りに伝えていたので)
・頑張れない私は価値がない
….思っていた以上に、罪悪感と共に自分を縛りつけていました。
思い込みのルーツは、幼い頃
子どもの頃、いくつかの習い事をしていました。
続けることは当然のこと。嫌でも続けるのが当たり前。
母は教育熱心で、割とスパルタ。笑
嫌だな、やめたいな、なんて言えるはずもなく….
楽しいとは思えず、感覚的には苦行。笑
でも結果は出さなくちゃいけない。
だから努力もやめられない。
この頃にきっと思い込んだのだと思います。
「頑張れない私は価値がない」
「続かないことはいけないこと」
ちなみに私には弟がいるのですが、弟は「あれをやってみたい」「これをやってみたい」と言っては、始めた習い事をさっさとやめてしまう子どもでした。
「もうやりたくな〜い」のひとことで。笑
自分の気持を自由に伝えられる弟のこと、正直羨ましかったのだと思います。
本当の私は、もっと自由な人だった
本当は….
私は、あれこれ興味が移って、やってみたいことがたくさんあるタイプ。
飽きることも、きっと人より多いし、自由で風みたいな人かもしれません。
50歳前後でようやく、それに気づきました。(遅すぎですが..笑)
だけれど、幼少期の思い込みがまだ強くて、知らずしらず自分を縛っていたのだと思います。
そして、ありがたいことに周りの人からはよくこんな言葉をかけていただきます。
「明子さん、頑張らなくても大丈夫よ。」
「好きなことをワクワクのままやれば自然とうまくいくと思う。」
「頑張らないことを頑張ってみて。」
最初の頃は、正直意味が分からなかったんです。だって、頑張っているつもりが全くなかったから。
頑張っている、と思ったとしても、「まだまだ足りない」って感じていました。
しかし、今回のことで気づきました。
「私は、頑張っていたんだな」と。
「比べる頑張り」から「内から湧く頑張り」へ
私が尊敬する方々は、日々決めたことを淡々と続け、努力し、進み続けている方ばかり。
だから、続けられない自分を責めていたんですね。自分を責めている意識は全くありませんでしたが。
でも。本来の「頑張る」って、誰かと比べたり、誰かに評価されるためではなく、自分が心から「好き」「やりたい」と感じることに、夢中で情熱を注ぐこと。
そこには無理も、我慢もありません。
それは自分を尊重することであり、解放することでもあり、「私は私の気持ちを大切にしていい」と自分に許可を出す行為でもあります。
頑張らないことは、優しさにつながる
自分を追い込んでいると、無意識に周りにも同じものを求めてしまいます。
「なんでできないの?」
「どうして頑張らないの?」
それでは誰も楽になれません。
何より、そう言っている自分のことを嫌いになっていってしまう。
だからまずは、自分に優しくすること。
肩の力抜いて、深く息をすること。
心に湧く「ワクワク」を見逃さず拾うこと。
そうすると、自然と周りにも優しくなれるのだと思います。
少しずつでいい。ゆっくりでいい。
日本の女性は、本当に頑張りやさんが多い。
だからこそ、「頑張らない」を選ぶのは、勇気がいること。
でも、少しずつでいい。
その先には、ふっと肩の力が抜けて、呼吸が深くなって、本来の自分で行きられる時間が増えていくはず。
私も今、まさにその途中です。
つい頑張ってしまう女性の皆さん、一緒にゆっくり行きましょうね。
今日も最後までご覧くださってありがとうございます。
今週も自分を信じて、素敵な笑顔で。
エセンティア 設楽明子