言葉にすること=自分とつながること
人は「満たされる」ことで、喜びや安心を感じるもの。
その満たされることの一つに、
心を許した人や、大切な人との対話があるのではないでしょうか。
たとえ何気ない会話であっても、そこには想像以上に大きな意味があるように感じています。
日々の体験は、そのままでは流れてしまう
私たちは毎日、大きな出来事から小さなことまで、様々な体験をしています。
けれど、忙しさの中でその一つひとつはそれほど意識されることなく、
そのまま過去のものへとなってしまうことも多いものです。
本来その体験の中には、感情や思考、そしてカラダが感じているもの(体感覚)が存在しているのですがー。
言葉にすることで「自分」が見えてくる
その体験を「言葉にすること」
それが、自分自身を認識することにつながるのだと思います。
言語化されない感情や思考、カラダの感覚は、点のままバラバラに存在しています。
けれど、言葉にすることで、それらが繋がり一つになる。
そして「私」という輪郭が見えてくる。
それが「自分を認識する」ということ。
例えば、
「こんな事があって、実は悲しかったんだよね」
「本当はこう思っているけれど、不安で言えなかったの」
「あれね、すごく腹がたったんだよね」
そんな本音が誰かと共有できたとき。
それを受け止めてもらえたり、
「わかるよ」と共感してもらえたとき。
私たちは、大きな安心感に包まれます。
その積み重ねが、やがて深い信頼関係へと育まれていくのだと思います。
言葉を超えて満たされるもの
言葉にすることは、単なる「伝達」ではありません。
安心や共鳴という形で、お互いの内側を満たし合う時間でもあるのだと思います。
そこには、
どんな自分であってもいい、
そのままでいい。
そんな「自分という存在への許可」が自然と生まれる。
これは言葉を変えれば「癒し」というのかもしれません。
人は自分を知ることに怖さを感じたりする場合もあるけれど、
本来は、「自分を知ること=幸せや可能性を発見すること」なんですよね。
安心できる人との関係から
だからこそ、安心できる人との何気ない会話はとても価値あるもの。
そのやり取りの中で私たちは、
自分を認識し、
自分にOKを出し、
そして、目の前の人と「信頼関係」を育んでいくのだと思います。
言語化に苦手意識がある人もいるかもしれません。
それまでの環境(生育歴)・出来事なども影響している場合も少なくないと思います。
そんなときはまず、「一緒にいて安心できる人」との関係の中で、少しずつ言葉にしてみること。
カラダはとても正直です。
心地よいとカラダが感じる「その感覚」を頼りに、自分の内側を開いて(言葉にする)みてくださいね。
心地よいなら開いてもきっと大丈夫。
そうしていくことで、それまで自分に影響を及ぼしていた過去の環境や出来事から自由になり、少しずつ癒されていくのだと思います。
さいごに・・
言葉にすることは、誰かに伝えるだけのものではなく、自分自身を知っていく作業。
何気ない会話の中にこそ、私たちが満たされ、癒され、そして自分を深く知っていくヒントがあります。
家族、友人、パートナー、そんな大切な人たちと交わす「対話の時間」。
大切な人たちとの時間は永遠ではありません。
どんなカタチであれ、必ず「終わり」は来ます。
でもその時に「あなたのお陰で私は自分らしく幸せに生きられた」
そう感謝できるよう、「言葉にすること」を意識していきたいものです。
本日も最後までご覧くださって、ありがとうございました。
どんなあなたでもそのままで大丈夫…とっても素敵です。
エセンティア 設楽明子