人の心を動かすのは、きれいな人生だけじゃない
一見すると、美しくて、素晴らしくて、流暢で…. 思わず惹きつけられるような言葉。
なのに、なぜか心のどこかで「何だか、ちょっと違うな」と感じることがあります。
それは、どうしてなんだろう?
そんなことを考えていたら、ふと気づいたことがありました。
きっと、「言葉とその人の生き方や在り方が一致しているかどうか」
そこに、人は敏感に何かを感じ取るのではないでしょうか。
人には見せたくない自分もいる
誰にでも、できれば思い出したくない過去があります。
大きな失敗。
自分の未熟さから、人を傷つけてしまったこと。
誰かを裏切ってしまったこと。
逆に、信じていた人に裏切られ、立ち直れないほど傷ついたこと。
「こんな自分は、誰にも知られたくない」
そう思うような出来事。
人に自分の人生を知ってもらうとき、どうしても私たちは、うまくいったことや、輝いている部分を伝えたくなります。
それも、もちろん自分の人生の一部。
でも、本当はその裏側にある「人には見せたくなかった自分」もまた、同じくらい大切な自分なのだと思うんです。
過去の自分を、人生から切り離さない
「もっと軽やかに生きたかった」
「あんな経験、したくなかった」
そんなふうに思うこともありますよね。
普段は忘れているつもりでも、ふと、一人になったとき、心の奥から当時の切なさや悔しさが蘇ってくることもある。
それは、無理になくさなくてもいいのだと思います。
その出来事は、人生の汚点ではないから。
怖くて逃げた私も、
泣いていた私も、
立ち上がれなかった私も、
全部、今の私につながっている。
そう考えると、過去の自分は「なかったことにしたい自分」ではなく、
ここまで私を連れてきてくれた、もう一人の自分。
運命をともにする「同志」のような存在なのかもしれません。
傷ついた経験が、誰かの心を動かす
人の心を動かすのは、必ずしもきれいに整えられたストーリーではないと思います。
もがいて、
苦しんで、
何度も立ち止まって。
「もう無理かもしれない」と思いながら、それでも少しずつ前へと進んできた。
そして今、確かな笑顔で未来を見ている。
そんな姿から生まれた言葉だからこそ、誰かの心に届くことがあるのではないでしょうか。
「私だけじゃなかったんだ」
「この人もこんな経験をしてきたんだ」
そう知ったとき、
「私にもできるかもしれない」
と、ほんの少し勇気が湧いてくることがあります。
だから、過去の痛みは、自分のためだけの経験ではないのかもしれません。
「なかったこと」にしない強さ
もちろん、全ての過去を人に話す必要はありません。
無理に傷を見せる必要もない。
でも自分自身に対しては、「そんなこともあったよね」と、その時の自分を「ありがとう」と言いながら、そっと抱きしめてあげたい。
泣きたくなるような恥ずかしさも。
悔しさも。
絶望した日も。
それを「私の人生の一部」と、自分の中に置いてあげる。
過去を肯定するというより….
「あの時の私も、精一杯生きていた」と、ただただ認めてあげる。
それだけでも、人は少しずつ自分自身との関係が変わっていくのだと思います。
どんな私でも、私の人生
私は、「どんな私でもOK」という言葉を大切にしています。
完璧じゃなくてもいい。
失敗した私も。
弱かった私も。
逃げてしまった私も。
全部ひっくるめて「私」。
そうやって自分の人生を丸ごと受け入れられるようになると、不思議と人にも優しくなれる気がします。
誰かの弱さや不器用さを見たときに
「そういうこともあるよね」
と、少しだけ余白を持って見られるようになる。
そして、その余白から生まれる言葉には、きっと温かさがある。
きれいなことだけを語るのではなく、きれいじゃなかった自分も抱えながら、それでも前を向いて生きていく。
私は、そんな生き方にこそ、人としての美しさがあると思っています。
本当の美しさは、そんな日々からしか生まれないんですよね。
だから今日も…
「私は私のままでいい」
「どんな私でも大丈夫」
そう自分に言ってあげたい。
一人ひとりが、自分の人生を否定せずギュッと抱きしめられるようになったら。
きっとそこから優しさが生まれ、それが少しずつ周りにも広がっていく。
そんな小さな積み重ねが、温かく穏やかな世界をつくっていくのかもしれません。
本日も最後までご覧くださって、ありがとうございます。
あなたの過去も、今のあなたをつくってきた大切な物語。
どうか、その一つひとつを優しく抱きしめてあげてくださいね。
エセンティア 設楽明子