今日は、ふと思ったことを徒然に書いていこうと思います。
皆さんには、尊敬している人や、憧れている人はいますか?
私は、人生のどの時期にも、そういう人たちがいます。
「なんてカッコいいんだろう」
「なんて清々しい人なんだろう」
そんなふうに、惹かれてしまう人。
私が惹かれるのは、自分の価値観や考え方をちゃんと持っている人、です。
でも、それを人に押し付けるわけでもなく、違う考えにも耳を傾けられる。
何かあったとき人のせいにせず、自分の責任から逃げない。
そういう人を見ていると、「素敵だな」と思います。
不思議なことに、私の人生には、その時々で必ずそんな存在が現れてくれるんですよね。
その人たちのとの出逢いから、たくさんの気づきや学びをもらってきました。
「すごいなぁ」で終わっていた頃
40代の頃は、尊敬する人を見て、
「すごいなぁ」
「私にはできないなぁ」
と、少し離れたところから「私の世界には存在しない人」を眺めているような感覚でした。
それだけでも十分刺激をもらっていたんですけれど。
でも、50代になって、自分の人生をもっと楽しみたい、自分の持っているものを活かして誰かの役に立ちたいと思うようになってから、少し変わってきました。
その人達が持っているものの中で、「私も、こういう部分を身につけたい」、と思うようになったんです。
尊敬する人と近づくということ
ではどうしたらその人に近づけるんだろう。
私は単純にその人のそばにいるだけでは難しいと思っています。
その人が何を大切にしているのか。
何を求めているのか。
どんなことを考えて、仕事や人生に向き合っているのか。
そこを知ろうとする。
そのうえで、
「じゃぁ、私はどうなんだろう?」
と自分に問いかけてみる。
そうやって少しずつ、その人との間に「共通言語」が増えていくのではないかと思います。
人は、ただ会話ができれば分かり合えるわけではないですよね。
同じ言葉を使っていても、大切にしているものが全然違えば、どこか表面的なところで終わってしまう。
反対に、価値観や目指しているものに共通する部分があると、言葉の奥まで伝わる感じがする。
「会話」から「対話」になっていくというか…。
私は、人との関係性って、そういうところに深さが生まれるのだと思っています。
もう少し高いところから、見てみたい
私が尊敬したり、憧れている人たちは、私より断然見ている世界が広い。
そしてさらには、高いところから物事を見ているように感じます。
それぞれに独自の世界観があって、考え方があって、自分なりの哲学を持っている。
ここ数年は
「私もその場所から世界を見てみたい」
と、強く思うようになりました。
その人たちが今いる場所から何を見ているのか。
何に心を動かされて、どんなことを課題だと感じているのか。
そして、どこに向かおうとしているのか。
なんとなく想像はできるけれど、自分もそこまで行ってみないと、本当の意味では分からないんですよね。
せっかくそんな人に出逢えたのだから、
「すごいなぁ」と感心して、ただ見ているだけではなくて、その人たちと同じ視座で、人生や仕事について話ができるようになりたい。
そんなふうに思っています。
高い山に登るように
山も標高が高くなるほど、最初は息苦しいですよね。
今までいた場所とは空気も違う。
でも、体力をつけたり、必要な装備を整えて、一歩ずつ登って行けば少しずつその場所にカラダが慣れていく。
人も同じなのだと思います。
自分が憧れたり、尊敬している場所に行きたいのなら、そこにいる人たちと同じようなモノの見方や考え方を、少しずつ自分の中に育てていく。
「そこに行きたい」と言うだけではなく、自分自身も、その場所にいられる人間になっていく。
簡単ではないかもしれないけれど、そういうことかな、と。
望むものには、先に代価を払う
以前読んだ本に、
「自分の望むものを手に入れるには、先に代価を出す必要がある」
というようなことが書かれていました。
代価というのは、時間だったり、お金だったり、努力だったり。
言葉にすると簡単ですが、実際にやるとなると、なかなかそうはいきません。
それでも、自分が望むものならばそのために時間を使う。
学ぶことに時間を使う。
人に会う時間を作る。
今までなら避けていたことをやってみる。
そんな小さな積み重ねが、自分のいる場所を変えていくのだと思います。
自分の言葉は自分自身から生まれる
最近、もう一つ強く感じていることがあります。
それは「言葉」のこと。
発する言葉には、その人がそれまで何を考え、何をしてきて、何を大切にしているのかが、思っている以上に表れるんですよね。
その人の経験や、考え方、物事を見る高さや広さ。
何を目指しているのか、どんなことを大切にしているのか。
そういうものが、言葉の端々に出てくる。
だから、周りの人はそれをちゃんと感じているし、見ているのだと思います。
これから自分がどんな人たちと関わっていくか、にもつながっていく気がします。
自分がどんな考え方をしているのか。
それが、どんな言葉を発するか、になる。
結局、自分の在り方が、自分の周りの人たちを作っていくのかもしれません。
言葉を「借りる」のではなく
今は、AIに文章を作ってもらうことも簡単になりました。
私自身も仕事では使いますし、非常に便利なものだと思っています。
でも、自分の考えを深めて、自分の言葉を育てていくことまでAIに任せてしまうのは、少しもったいないと思うんですよね。
言葉は、ただ情報を伝えるためだけのものではなくて、その人自身がふわっと、時にありありと滲み出るものだから。
自分の経験を重ねて、考えて、迷って、間違ってしまって、言い直しながら、自分なりの言葉になっていく。
それは、AIに代わってもらうものではないと思います。
私もまだまだです。
尊敬する人たちと、同じ景色を見ながら話せる自分にはまだなっていない。
だからこそ、学んで、自分の頭と心で考えて、経験して、「私の言葉」を磨いていきたいな、と思っています。
そして、いつか「あの人と話すと、何だか面白いし、また会いたい」
そんなふうに思ってもらえるような人になれたら嬉しいですね。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
「言葉」は私たちが神さまからいただいた「ギフト」。
自分を表現し、大切な人たちや尊敬する人とつながれるものだと思います。自分らしく育んでいきたいですね。
エセンティア 設楽明子